目次
【埼玉の旧河道・河道②】巾着田
日高市の高麗駅(西武池袋線)の東にある、直径500mほどもあるΩ型をした高麗川の蛇行部。約1300年前に高句麗からやってきた渡来人の子孫が、蛇行部に水を引き入れて水田にしたといわれています。
巾着田を人造湖にする計画もありましたが、一部の私有地などを除き、日高市が「巾着田曼珠沙華公園」を整備するなど観光スポットとなっています。
対岸の露頭には、青灰色の泥岩層の上に茶褐色の砂岩層、厚い礫層(飯能礫層)が堆積しています。
【埼玉の旧河道・河道③】川島町の流路跡
東を荒川、北を市野川、南を入間川、西南を入間川の支流・越辺川に囲まれ水田地帯が広がる川島町には、河川跡や自然堤防が各所にあります。宮前、上狢、吉原地区にかけた自然堤防(流路跡)には、堤防上に屋敷林を造成した住宅が連なります。
大きな流路跡から察するに、この地には、かつての利根川と荒川が合流して流れていた可能性が指摘されています。
【埼玉の旧河道・河道④】渡良瀬川の流路跡
北から南へ、およそ一定の距離をとって住宅が蛇行するように築かれているのは、幸手市平須賀付近にある幅400mほどもある渡良瀬川の流路跡。住宅は自然堤防上に築かれたものです。
北を流れるのは中川で、かつての渡良瀬川は幸手市権現堂の東側で分かれ、西へ張り出しながら南下。流路跡はさらに天神島や平須賀を経て、そこから流路を南東に変えて杉戸町内を蛇行し、同町堤根で大落古利根川と合流していました。
1576(天正4)年、権現堂堤の築堤により流れが途絶えました。
【埼玉の旧河道・河道⑤】北川辺の旧河道
旧・北川辺町(現・加須市)にあるΩ型をした旧河道。家々が連なる2本の線は自然堤防で、そのあいだが旧河道です。
もともと利根川の一分流の曲琉部でしたが、1621(元和7)年、Ω型の両足部分をショートカットした河道(新川通)をつくり旧河道となりました。そして、新川通はのちに利根川の本流となっています。これにより、かつて利根川以南にあった北川辺町は、利根川の北へはみ出た形になりました。
【埼玉の旧河道・河道⑥】川越の入間川旧河道
荒川と入間川が合流する上江橋のすぐ北、入間川右岸に木々が茂っている場所が入間川の旧河道。同じ場所に、落合橋付近で中川から分かれた古川という川が流れています。
川越運動公園付近もΩ型をした入間川の旧河道でした。
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