トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

小松の石文化が育まれる要因となった「グリーンタフ地帯」

約2500万年前まで、日本列島はユーラシア大陸の一部でした。しかし大規模な火山活動が起こり、大陸の東側が裂け、その割れ目に日本海となる海が生まれたのです。裂けた東側部分が日本列島の原型となり、そのまま東へと移動を始めました。

この地殻変動により、日本海側では火山の噴火が頻発するようになり、流れ出た溶岩や厚く降り積もった火山灰の地層が形成されるようになります。この地層は緑色凝灰岩を多く含む地層であったため、この地層が分布する地域はグリーンタフ地帯と呼ばれ、鉱物や岩石など、地下資源の宝庫となっていきました。

小松はまさにグリーンタフ地帯に位置します。メノウや碧玉などの石。良質な凝灰岩の石材。九谷焼の原料となる陶石、金や銅などの鉱石。素晴らしい資源にふさわしい加工技術が生み出され、石の文化が育まれてきたのです。

小松の石文化は弥生時代の王たちも魅了

小松で生まれた管玉は、日本海交易で九州まで届けられ、弥生時代の王たちを魅了しました。

古墳時代後半に入ると、小松の石は建築部材として活用され始めます。小松市東部の山には良質の凝灰岩が広く分布しており、それらを切り出し加工する技術が小松へ導入されたため、大型古墳の横穴式石室に使われたようです。

このように、古代までの切石技術は王の墓や国の建築物など、特別な建造物に利用されることがほとんどでしたが、中世に入ると石工道具の進化と普及により、囲炉裏やあんか、火鉢にも使われるようになります。錆びない、腐らないという材料としての耐久性や調達の手軽さも好まれ、庶民の生活に浸透していったのです。

小松の石文化の象徴となる石切り場

小松といえば、前田家3代利常が隠居していた地です。前田利常は、加賀一向一揆の拠点となった小松城の改修に力を入れましたが、なかでも石垣にはこだわりました。

小松城の石垣に関しては、『前田家文書』に鵜川石の記載があり、梯(かけ)川流域に位置する鵜川地区に石切り場を設け、河川で城や町へと運び込んでいたようです。

小松城を中心に小松の街づくりが進み、建築部材としての石材需要が増すなかで、小松市内では本格的に石切り場が開かれていきました。現在も確認できる小松市内25カ所以上の石切り場の多くはこの頃に開かれたものです。

小松の石文化で生まれた九谷焼や有名建築物

九谷焼もまた、小松の石によって生み出されたといえます。小松は全国有数の陶石産出地であり、江戸後期に花坂(はなさか)地区で発見された陶石が今も九谷焼に使われています

この花坂陶石は、縄文時代に石器の材料として使われていた流紋岩が地下で熱水作用を受けて変質したものといわれます。粘土にすると腰が強く、成形しやすいことが特徴で、「花坂陶石でなければ真の九谷焼ではない」とこだわる作家もいるほど重要な原料となりました。

現在も小松市内には多くの石蔵が残り、美術館や飲食店として利用されています。水に強く青白い色調が美しい滝ヶ原石や、温もりのある黄色の色調で湿気や火に強い観音下(かながそ)石(別称「日華石」)は特に人気が高く、滝ヶ原石は現在でも切り出しがおこなわれます。

滝ヶ原の石切場周辺には明治から昭和に築かれたアーチ型石橋が5橋残されており、これほど多くの石橋が現存する地域は、九州以外では小松のみです。

小松で産まれた石は、市内の建造物はもちろん、国会議事堂や甲子園会館などの有名建築物にも使われ、その魅力を伝え続けています。

小松の石文化ゆかりのスポット

●東酒造
観音下石を使い、昭和20年代に築造された日本酒醸造所の石蔵。5棟の石蔵が連なって建つ。

●小松城跡
地元の鵜川石と金沢の戸室石で構築された小松城本丸櫓台石垣。割石を丁寧に面取り加工し、隙間なく積み上げる切込み接ぎという工法。

●観音下石切場
大正初期から掘削がおこなわていた、黄色が特徴的な浮石質凝灰岩の石切り場。

●滝ヶ原石切場
文化11(1814)年から始まり、現在も緑色凝灰岩の採掘がおこなわれ、採掘抗を見ることができる。

●滝ヶ原アーチ石橋群
地元滝ヶ原石を使用したアーチ型の石橋で、5橋現存。明治後期から昭和初期に建造された。

『石川のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から石川県を分析!
石川県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。石川の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く石川の大地

・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

…etc.

『石川のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

この記事に関連するタグ