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金沢の発信すべき文化とは

では、その発信すべき文化とはどういったものでしょうか。京都に息づくのが「公家文化」であるのに対し、金沢は「武家文化」なのです。

金沢は江戸と同じく、上級武士や下級武士、そして家来の家来にいたるまでが城下に集まって住むという形態をとりました。明治2(1869)年の人口調査では、金沢の人口12万3363人のうち、武家人口が6万1659人。つまり、金沢の人口の約半数は武家人口という結果が示されました。

大勢の武士を束ねた加賀藩前田家は、文化政策に熱心でした。一説によると、これは幕府へのカモフラージュであったともいわれます。加賀藩は江戸幕府に次ぐ石高を有したため、幕府から警戒される立場にありました。これを避けるため、武力ではなく文化に経済力を注ぎ込んでいることをアピールする目的があったといいます。

金沢の武家文化の歴史

こうして加賀藩は、前田利常の代から各分野の優れた文物を収集し、武家の嗜みとして茶の湯や能を奨励してきました。当初は武具の制作や修理をおこなっていた御細工所(おさいくしょ)という機関が、工芸工房として機能し始めたのもこの頃からです。

そこへ京都や江戸から名工や一流文化人を招き、工芸品の制作に力を注いだだけでなく、名工に指導させることによって後継者の育成にも重きを置いたことから、後世をも見据えたスケールでこの文化政策がおこなわれたことが読み取れます。

このように優れた技術が定着し、やがて九谷焼や加賀蒔絵、象嵌(ぞうがん)、金箔、友禅など多岐にわたる工芸へと発展。現代にまでその技と心は受け継がれています。

工芸の煌びやかな細工を見るとつい公家文化をイメージしがちですが、加賀藩の政策から生まれた工芸品は、まごうことなき武家由来なのです。

金沢の学術文化を発展させた前田綱紀

5代綱紀(つなのり)の頃には学問の奨励も盛んに。文化奨励に情熱を注いだ前田利常(としつね)を祖父にもつ前田綱紀はその影響を強く受け、学術文化の発展に取り組みました。

朱子学派の儒学者であった木下順庵(きのしたじゅんあん)や室鳩巣(むろきゅうそう)を招いて学問を振興させ、彼らのもとで前田綱紀自ら書物を編纂することもあったといいます。朝廷や公家、寺社仏閣から書物や絵巻物を収集し、それらを収めるには8棟もの書庫を要するほどでした。長崎に入港したオランダ船の積み荷をすべて買い取り、海外の書物を手に入れたという逸話もあります。

6代将軍徳川家宣(いえのぶ)の講師を務めたこともある儒学者・新井白石にも、「加賀は天下の書府なり」と称賛されるほど、熱心に図書の収集をおこないました。この学問を重んじる気風は後世まで受け継がれ、明治期以降は学術の分野で日本を代表する学者や文学者を多く輩出し、その後の旧制第四高等学校が象徴するような学都としての礎になりました。

金沢の文化を象徴する「武家屋敷跡野村家」

武士文化の顕著な例として、茶の湯や工芸とともに、美しい庭園文化があります。

武家屋敷の多い長町は、加賀藩の上・中級武士が住んでいたエリア。今は一般住宅がほとんどなので、門の向こうは基本的に非公開ですが、武家屋敷跡野村家」では屋敷内部と庭園が見学可能です。

野村家は代々前田家に仕え、藩主が乗った馬の周りを警護する御馬廻組(おうままわりぐみ)の組頭などを務めた名家。この邸宅の庭の一部は当時のまま残されており、『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で2つ星の評価を得て、世界に美しさが認められました。

長町を流れる金沢最古の大野庄用水を庭に引き込み、滝を境に上下2段に分けた池。北陸では生育が難しいとされる樹齢400年の山桃の木。桜御影石でできた大架け橋。それらが調和した庭には、加賀藩のもとで花ひらいた美意識が凝縮されています。

長町武家屋敷の周辺地図

長町武家屋敷の周辺地図

足軽屋敷を移築再現した足軽資料館、利家の次男・利政を家祖とする前田土佐守家の資料館、薬種商だった建物を利用した老舗記念館など、藩政期の名残に触れることができます。藩政時代の長屋門を修復した高田家跡も見学可能です。

長町武家屋敷の周辺地図

足軽資料館

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Part.4 石川で育まれた文化や産業

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・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

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