那須国造碑に那須国が存在していた証拠が
さらにこの那須郡は、律令制度が整えられる以前は那須国(なすのくに)として、下毛野国(しもつけぬくに)(のちに下野国)とは別の国として統治されていたことが、近世になって知られるようになりました。その証拠となったのが、現在の大田原(おおたわら)市湯津上(ゆずかみ)の笠石神社にある、国宝・那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)です。
那須国造碑とは
那須国造碑は、笠石神社の御神体として、鞘堂(さやどう)とも呼ばれる小さな堂に納められています。石碑の高さは台座から約148㎝、文字が刻まれた石の上に石を乗せていることから、「笠石」とも呼ばれます。碑には花崗岩が用いられ、19字8行、全152文字が刻まれています。1952(昭和27)年には国宝に指定されました。
那須国造碑から読み解く歴史背景
「国造」とは、朝廷が任命した地方官の称号であり、多くの場合、古墳時代後期からその地域で力をふるった豪族が世襲していました。しかし645年の大化の改新によって、朝廷による地方の統治制度が変更され、国造は廃止されることとなります。それに代わり、新たに国の統治制度として701(大宝元)年に示された大宝律令に基づき、「郡司(こおりのつかさ)」という新たな地方官が任じられるようになりました。
那須国造碑から見えてくる那須の歴史
こうした歴史的背景から、改めて那須国造碑に刻まれた碑文を読み解くと、古代における那須地域の統治の変遷を知ることができます。碑文には、那須の国造であった那須直韋提(なすのあたいいで)が、 朝廷より「評督(こおりのかみ)」という評(のちの郡 )における長官の地位を賜ったと記されています。つまりこの頃には那須国が那須郡となり、下毛野国に併合されていたことがわかります。さらに、那須国造碑に刻まれた文章を読むと、古代の那須と中国大陸や朝鮮半島との深い交流の様子を見て取ることができます。
那須国造碑が示す那須地域と渡来人の関係
碑文に刻まれた年号は「永昌(えいしょう)」となっていますが、この年号は唐の則天武后(そくてんぶこう)の時代に使用されたものです。また、石碑の文字が大陸の六朝(りくちょう)の書風であること、さらにこの時期、朝鮮半島から来た新羅(しらぎ)人を下野国に移住させたことが、『日本書紀』に記されていることなどから、那須国造碑は、古代の那須地域と渡来人との関係を示す貴重な史料としても注目されています。
那須国造碑が発見された経緯
那須国造碑については、それが発見された経緯もまた興味深いものがあります。江戸時代前期の1676(延宝4)年、水戸藩領の小口村(こぐちむら)(現在の那珂川町(なかがわまち))の長であった大金重貞(おおがねしげさだ)が、旅の僧・円順(えんじゅん)から湯津上村の草むらにある古い石碑の話を聞きます。重貞はこれを調べて、『那須記』という書物にまとめ、水戸黄門として知られる水戸藩2代藩主・徳川光圀にこれを献上。光圀は1691(元禄4)年に、保存のために堂宇を建て、これに石碑を納めました。石碑が刻まれてから、実に約1000年後のことです。現在、那須国造碑は、群馬の多胡(たご)碑、宮城の多賀城(たがじょう)碑とならんで、日本三古碑のひとつに数えられています。
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