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宇都宮藩は「坂下門外の変」によって立場が危ぶまれる
そんななか、1862(文久2)年に起こったのが坂下門外の変です。幕府の権威回復のため公武合体を進める老中・安藤信正を、江戸の坂下門外で攘夷派の志士が襲撃。桜田門外の変の井伊直弼とは異なり、安藤信正はからくも江戸城内へ逃げ込んで命を取り留めました。この襲撃事件を計画したのが、宇都宮藩主に学問を教える待講であった儒者・大橋訥庵(とつあん)とその義弟である菊池教中(きょうちゅう)らでした。この事件により宇都宮藩は、幕府から厳しい目を向けられ、最悪の場合、改易や取り潰しに追い込まれる可能性のある立場になってしまいます。
宇都宮藩の命運をかけた「山稜修補」
そこで、家老の間瀬忠至(ませただゆき)と県信緝(あがたのぶつぐ)が考え出した打開策が、「山稜修補(さんりょうしゅうほ)」です。これは、奈良や京都に点在し、荒れ果てあるいは耕作地とされていた古代の天皇・皇后などの墓である稜(みささぎ)を修復するという事業。朝廷や公武合体を進める幕府の評価を得ようという思惑によるものでした。そもそもは、宇都宮出身の学者である蒲生君平(くんぺい)が提唱した事業でしたが、幕府の財政難から行われていなかったのです。藩の命運をかけた山稜修補は、坂下門外の変が起こったその年から開始されました。80か所以上の山稜の場所を特定・修復し、鳥居を建てるなど、現在にまで至る陵墓の祀り方や管理の仕方などを確立。その活動は、朝廷からも幕府からも高く評価されるようになりました。
宇都宮藩は山稜修補によって救われる
ところが1864(元治元)年、今度は天狗党の乱が起こります。水戸藩内の過激な尊王攘夷派が筑波山で挙兵し、宇都宮から日光を目指しますが占拠はできず、栃木の太平山に滞陣。栃木宿で住民殺害や放火、強盗をしたうえで、常陸方面へ逃亡したのです。このとき、宇都宮藩の対処が天狗党に同情的だったことや、一部の宇都宮藩士が乱に参加していたことなどにより、宇都宮藩は藩主・戸田忠恕(ただゆき)の隠居謹慎、そして奥州への国替えを命じられてしまいます。しかし、この間も着々と山稜修補は進められていきました。結果として、これが幕府や朝廷の心証を和らげ、最終的に戸田家の国替えは中止となったのです。まさに山稜修補が、宇都宮藩を救ったといえるでしょう。
宇都宮藩を救った山稜修補事業の先覚者、蒲生君平
林子平(はやししへい)、高山彦九郎(ひこくろう)と並び、「寛政の三奇人」と呼ばれたのが、宇都宮出身の学者・蒲生君平です。宇都宮の燈油(とうゆ)商・福田屋に生まれた蒲生君平は、6歳から読み書きを学び、 鹿沼の儒者・鈴木石橋(せっきょう)や黒羽藩の家老・鈴木為蝶軒(いちょうけん)に師事。13歳の時に蒲生氏郷の子孫であると知り、のちに蒲生を名乗ります。蒲生君平は、当時荒廃していた足利学校の復興にも尽力し、宇都宮藩校・修道館の設立にも加わったといいます。畿内に点在する荒廃した陵を2回にわたって現地調査し、その研究成果を取りまとめ、1808(文化5)年、『山稜志(さんりょうし)』として出版しました。「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」という古墳の形状に対する名称は、この『山稜志』で初めて使われました。
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