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反魂丹は富山藩の財政を支える存在に

富山藩成立当初は、加賀藩が百万石以上を誇っていた一方、富山藩の石高はわずか十万。富山藩は財政を豊かにすべく、米以外の産業を育てようとしますが、財政難は2代藩主・前田正甫の頃まで持ち越されました。そこで前田正甫が産業の要にしようとしたのが売薬。軽い・かさばらない・高く売れるという3つの利点があったからです。前田正甫の読みどおり、売薬は年貢米と並んで富山藩の財政を支えることとなりました。

反魂丹は岡山の医師から伝えられていた?!

反魂丹の製法は、岡山の医師・万代常閑(まんだいじょうかん)によって伝えられたといわれています。前田正甫も自ら薬の研究をおこない、富山城下の薬種商にその製法を伝え、以降反魂丹売薬のもととなりました。その薬を携えて、諸国への行商が始まります。

富山の薬売の行商人と商法

富山の売薬は、個人を対象とした配置薬のスタイルを採用。毎年周期的に巡回して未使用の残品を新品と置き換え、服用した薬に対してのみ金を受け取ります。この「先用後利」という独特の販売法や薬の効能に加え、売薬商人と得意先との信頼関係によって、富山の売薬は全国に販路を拡大させていきました。

富山の薬売商人が使用していた柳行李

売薬商人は、柳行李(やなぎごうり)を包んだ大きな風呂敷を背中に担ぎ、全国を行商しました。柳行李は、商人たちにとって大事な商売用具入れ。4~5段の箱の中には、筆記用具やそろばんなどが入っています。特に商人にとって重要だったのが懸場帳(かけばちょう)。得意先の情報が書かれたもので、訪問した年月日、配置薬の種類と数、売上金額などすべてが記してあり、顧客管理台帳のようなものでした。

富山の薬売に欠かせない進物

さらに、売薬において進物(しんもつ)(土産・おまけ)も欠かせないものでした。初期の代表的なものが売薬版画。富山版の浮世絵とでも言うべきもので、名所絵や役者芝居絵などが多く製作されました。明治時代後期になると、紙風船が主流に。これらの進物は客に喜ばれ、コミュニケーションを円滑にしました。

富山の薬売商人は全国の人気者

特に、移動の自由が制限されていた江戸時代においては、いろいろな地域の情報をもっている売薬商人は、客にとって待ち遠しい存在でもあったようです。行商の旅立ちは基本的に年2回、春と秋と決まっていました。この季節は、出稼ぎから戻る時期や収穫の時期にあたり、行商先の家に現金収入が入ってくる頃だったからです。この年2回の旅立ちは、江戸時代から近年まで引き継がれていました。

富山の薬売商人自ら薬づくり

また、江戸時代の売薬商人は、在宅時の仕事として自ら薬づくりを行いました。薬種問屋から薬種を仕入れ、次の行商に出かけるまでの間に集中して自宅で製薬をしていました。薬袋の袋貼りや印刷は、その家族や雇人の仕事で、特に袋貼りは女子が担っていたようです。

富山の薬は交通整備とともにますます発展

北陸道や飛騨街道などが整備されたことで、行商の利便性は飛躍します。さらに北前船の往来が活発になると、大阪、北陸、東北が西廻り航路で結ばれます。移動が便利になっただけでなく、中国の生薬が入ってくるようになり、さらなる発展をもたらしました。

反魂丹役所の設置

文化13(1816)年には「反魂丹役所」という専門機関が置かれ、売薬業の統制と保護を司りました。その結果、幕末期には売薬商人は約2300人余りに増加。財政難から始まった産業は、富山藩の大きな財源へと成長したのです。

富山の薬の近代~現代

明治時代に入ると、新政府は西洋医学にもとづき製薬の近代化を目指すようになります。漢方医学をベースとしている売薬に対し、売薬印紙税などの厳しい制約を課し、売薬業界は一時期窮地に追い込まれます。
しかし、明治時代半ば以降は再び発展し始め、昭和初期には富山県内の鉱工業生産額の第一位を売薬が占めるまでとなりました。

富山の薬売は「配置販売業者」として今も活躍

現在も、売薬商人は「配置販売業者」と呼ばれて活躍しています。先用後利システムも変わりません。2019年の県内医薬品生産額(実際に生産活動が行われている都道府県ごとに集計)は過去最高を更新。規制緩和が進み、大手の受注が増えたことや、ジェネリック医薬品のシェアが拡大したことにより、富山県内の医薬品生産は、この10年で大きく成長しました。この右肩上がりの生産額を支えるのは、やはり売薬の歴史でしょう。「薬都」としての伝統と誇りは、今も受け継がれています。

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Part.1 地図で読み解く富山の大地

・立山連峰との高低差4000m!「きときと」ぞろいの富山湾
・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

…など

Part.3 富山の歴史を深読み!

・江戸時代は鮎だった! 駅販売で広がったます寿し
・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

…など

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