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青函連絡船は本格的に運航され本数も増える

その後、日本鉄道は国有化されたが事業は引き継がれ、1908(明治41)年3月に国営の青函航路を開設。青函連絡船「比羅夫丸(ひらふまる)」、続いて「田村丸(たむらまる)」が就航し青森港と函館港を約4時間で結びました。同年5月には上野〜青森間を結ぶ急行列車2往復、函館〜札幌間を結ぶ列車3往復が設定され、上野〜札幌間の旅客輸送が本格化しました。
当初は両港ともに連絡船が接岸できる岸壁がなく、艀(はしけ)によって結ばれていましたが、函館は1910(明治43)年12月、青森は1924(大正13)年3月に桟橋が完成し、タラップで乗下船できるようになりました。

貨車や鉄道の航送がスタート

この間、1914(大正3)年12月、艀による「車運丸(しゃうんまる)」が就航し、貨車航送が限定的にスタート。1925(大正14)年8月には「翔鳳丸(しょうほうまる)」など車両航送設備を整えた客貨船により、懸案だった鉄道車両航送が開始され、輸送効率は大幅に向上
のちには貨物輸送量の増加にともない、貨車渡船(貨車を運ぶ貨物船)の「第一青函丸」が就航し、後継船が次々と竣工しました。

青函連絡船は戦争や災害に見舞われるも絶頂期を迎える

好調だった青函連絡船でしたが、太平洋戦争、さらに1954(昭和29)年9月に北海道地方を襲った台風15号(洞爺丸台風)で多くの人命と船体を失ってしまいます。
しかし、日本の復興とともに発展し、1957(昭和32)年10月には「十和田丸」、1964(昭和39)年5月の「津軽丸(2代目)」を皮切りに「八甲田丸」「松前丸(2代目)」「大雪丸(たいせつまる)(2代目)」「摩周丸(ましゅうまる)(2代目)」「羊蹄丸(ようていまる)(2代目)」などが次々に就航しました。

全国の特急列車網形成により便数はますます増加する

1961(昭和36)年10月のダイヤ改正では、全国に特急列車網が形成され、上野〜青森間の特急「はつかり」、大阪〜青森間の特急「白鳥」が青函連絡船を介し、函館〜旭川間の特急「おおぞら」に連絡するルートが誕生。本州と北海道を結ぶ交通事情は飛躍的に向上し、1972(昭和47)年には1日最大30往復が運航するまでに華やぎました。

青函連絡船は青函トンネル開通で幕を閉じる

しかし、ちょうどこの頃から本州〜北海道を結ぶ手段が航空機へとシフトし、オイルショックによる景気低迷などもあり、昭和50年代以降は旅客、貨物ともに減少の一途を辿ります。そして1988(昭和63)年3月には青函トンネルが開業し、青函連絡船は80年の長い歴史の幕を閉じました
最後まで活躍した連絡船は、のちに多くが引き取られ各地に保存されています。青森では、かつての花形「八甲田丸」が第2岸壁に繋留した状態で「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」となり、船室や甲板、ブリッジなど内部も博物館として公開。往年の活躍を後世に伝えています。

なお、連絡船は廃止されましたが、今も青函フェリーと津軽海峡フェリーの2社が青森〜函館間にフェリーを定期運航しています。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

住所
青森県青森市柳川1丁目112-15
交通
JR青森駅から徒歩5分
料金
入館料=大人510円、中・高校生310円、小学生110円/八甲田丸、アスパム、ワ・ラッセ周遊券=大人1380円、高校生970円、中学生770円、小学生570円/八甲田丸、摩周丸共通券=大人700円/(障がい者手帳持参で無料)

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青森県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。秋田の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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