「清洲越し」が行われた背景
尾張地方の中心地が清洲から名古屋へと転換する契機となったのが、1610(慶長15)年から開始された名古屋城築城工事です。
清洲城は低湿地にあり、付近の五条川(ごじょうがわ)がたびたび氾濫したこともあって水害に弱かったのです。また、大坂に豊臣秀頼が健在の時世では、有事を想定して西へ備えることも重要でした。
こうした政治情勢も考慮され、家康は清洲から名古屋への遷府を指示したのです。なお、家康は名古屋城の築城費用を西国大名に請け負わせ(天下普請)、財政負担を強いました。
「清洲越し」によって名古屋へ清州の都市機能をまるごと移転!
この遷府は「清洲越(きよすご)し」と呼ばれ、都市機能のすべてが名古屋に移転されました。清洲にあった寺社、商工業者、住民はいうに及ばず、地名すらもそっくりそのまま移し替えたのです。
当時6万人規模の都市を丸ごと移転するという、前代未聞の遷府でした。そのため「清洲越し」後の清洲は跡形もなくなり、名古屋城が完成した1613(慶長18)年、清洲城は正式に廃城となることが決定しました。
「清洲越し」により名古屋の街を発展させた革新的な区画整理
移転先の名古屋では、大規模な町割(区画整理)が行われました。とりわけ名古屋城から南に1㎞ほど続く町人地は、東西11列、南北9列の正方形(1辺は100mほど)のブロック状に区切られ、まるで碁盤の目のような形状から「碁盤割(ごばんわり)」と呼ばれました。
また、東西南北すべての方角に町屋の出入口があり、名古屋は全方角から発展するようにデザインされていたことがわかります。かくして名古屋は、中京随一の大都市へと発展していくのでした。
名古屋の戦災後に残る「碁盤割」の名残
太平洋戦争中、名古屋は大空襲を受けて市街地は甚大な被害を被りましたが、戦後の復興期には都市部は再び碁盤目状に整然と区画されました。
現在の名古屋市にも「碁盤割」の名残があるのです。
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・1500万年前の奥三河には富士山級の大火山があった!
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・西南日本を分断する大断層、中央構造線が奥三河に露出!
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・東海地方最大の前方後円墳、断夫山古墳が示唆するもの
・須恵器の猿投窯に始まり中世に発展した愛知の窯業
・応仁の乱の発端となった大激戦は尾張と三河の守護職争い!?
・信長が少ない軍勢で挑んだ桶狭間の戦い勝利の裏側
・家康後の岡崎城主・田中吉政が築いた岡崎二十七曲りとは?
・都市ごと清洲から名古屋へ移転した清洲越えがすごい!
・廃藩置県後の県域には12県、愛知県はどのようにして誕生?
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