相模野台地の段丘の形成
相模野台地には、おもに相模川の侵食と堆積作用により、6万年前以降に形成された河岸段丘(かがんだんきゅう)が広がっています。とくに、相模川左岸の相模原市中央区付近で、その発達が顕著です。
河岸段丘とは、河川の中下流域で見られる階段状の地形で、平坦面(段丘面)と崖(段丘崖(だんきゅうがい))からなります。その形成には地殻変動(土地の隆起など)も関係しますが、こと相模川流域で大きな影響を与えたのは気候の変動です。
段丘面が形成された約6万~1万年前、現在よりも100~120mほど海水面が下がっていた氷期(海退期(かいたいき) )に相模川上流から運ばれてきた土砂などが堆積。そこへ急流となった相模川が下方侵食(下刻(かこく))を始め、狭い谷とともに段丘面をつくりました。
いっぽう、海水面が上昇した間氷期(海かい進しん期き )、海は内陸部まで入り込んで泥や土砂が堆積。このように、海水面が上下することで相模川の段丘は形成されていったのです。
相模野台地の4つの段丘面
相模川の段丘面は、古い順に相模原面、中津原面(なかつはらめん)、田名原面(たなはらめん)、陽原面(みなはらめん)の4つに大別できます。各面は扇状地にローム層が堆積したもので、ローム層中のパミス(軽石)やスコリア(火山砕屑物)、火砕流などから形成年代がわかっています。
相模原市田名付近の河岸段丘
相模野台地の河岸段丘は、とくに相模川の左岸(東側)に発達しています。上段の面ほど形成年代が古く、東から順に上段の相模原面、中段の田名原面、下段の陽原面に大別されます。中津原面は、相模川の右岸(西側)に形成されています。
相模野台地の段丘面の形成年代
相模野台地の大半を占める相模原面は約6万年前に形成されたもの。
愛川町から厚木市にかけた東西3㎞、南北9㎞を中心に分布する中津原面は約3.5万年前、相模原市の城山町から下溝にかけてに加え、座間丘陵の西縁に沿って長細く分布する田名原面は約2.5万年前、相模原市中央区田名から田名塩田にかけた相模川左岸でよく発達する陽原面は約1.5万年前に形成されたことがわかっています。
河岸段丘には、河川のダイナミズムが刻み込まれているのです。
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