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半田銀山の本格的な開発の開始

本格的な開発が始まるのは、米沢藩領となった1600年前後から。佐渡金山の開発で実績のある藩主・上杉景勝(うえすぎかげかつ)が開発を奨励しました。

半田銀山は発展し、1664(寛文4)年に幕府の直轄領(天領)となりますが、産出量が安定せず、天領となったり藩領となったりを繰り返します。

半田銀山の繁栄と衰退

1747(延享4)年に天領となった際、幕府直営の御直山(おじきやま)として奉行所が設置されます。佐渡金山と同組織で経営され、役人も佐渡、石見(いわみ)、生野(いくの)から交替で派遣されました。

こうした体制と技術により産出量は増大。最盛時は川選鉱1326人の住居、床屋(製錬所)41軒のほか、多くの商店が軒を連ねたといいます。

その後、鉱脈の発見・枯渇による盛衰を繰り返しましたが、増大する出水で衰退し、1866(慶応2)年に幕府は経営を中止。半田銀山は幕府の財政を支える御直山の役割を終えました。

半田銀山を日本一にした五代友厚

1873(明治6)年、外国人排除のため、日本初の鉱業法「日本坑法」が発布され、全国の鉱山は事実上、明治政府の独占となります。翌年、鉱山の払い下げが始まり、半田銀山は薩摩藩士出身の政商・五代友厚(ごだいともあつ)が取得し、経営を再開。

五代は各地の鉱山を多数所有し、鉱山経営の統括機関を設立した「鉱山王」で、海外から製錬技術を導入し、近代化を進めました。

半田銀山では新技術で廃鉱石から銀を取り出すとともに、新たな鉱脈を発見して、最盛期には全国一となる年間約20トンを産出。利益をもとに五代は「関西財界の父」と称される活躍をしました。

半田銀山の災害被害と閉鎖

銀山を擁する半田山(標高863m)は、1901~03(明治34~36)年に大規模な地すべりが重なり、中腹にあった旧半田沼は消滅し、南側に新たな沼(現在の半田沼)が出現しました。

もっとも被害を受けたのは1910(明治43)年の豪雨で、半田沼が決壊し、山麓一帯に氾濫しました。銀山も致命的な被害を受け、1919(大正8)年に製錬中止に追い込まれます。採掘した鉱石を売る売鉱に転じました。

1944(昭和19)年、経営権が日本鉱業に移りますが、有望な鉱床が見つからずに休山。1976(昭和51)年に日本鉱業が採掘権を放棄し、銀山の歴史は幕を閉じました。

半田銀山跡が残る半田銀山史跡公園

往時をしのぶ「半田銀山史跡公園」には鉱石を運ぶトロッコ列車の橋脚跡や女郎橋などの遺構、明治天皇が2度行幸された記念碑、坑夫の供養塔があります。

坑口は桑折町に「中鋪坑口」、国見町に「二階平坑口跡(にかいひらこうぐちあと)」が残っています。

半田銀山があった半田山の再生

半田山は豪雨被害の翌年、1911(明治44)年から排水や植栽などの復旧事業を開始。県は1977(昭和52)年まで治山工事を行い、桑折町は半田沼周辺の花木や遊歩道のほか、キャンプ場などのレジャー施設を整備しました。

こうして、「はげっぺ半田山、登ればつるつる」と揶揄(やゆ)された半田山は、1989(平成元)年、「半田山自然公園」に生まれ変わりました。緑豊かな憩いの場として親しまれ、半田沼は満水時に山頂から見た形がハート形であることから、縁結びの「ハートレイク」として人気を集めています。

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Part.1:地図で読み解く福島の大地

・阿武隈山地や奥羽山脈が境目!浜通り・中通り・会津の3地域
・いわきで発掘された首長竜化石フタバスズキリュウとは?
・福島市がぽっかり入る福島盆地はどうやってできた?
・福島発展の礎を築いた常磐炭田
・磐梯山の大噴火と裏磐梯・五色沼湖群の形成
・猪苗代湖畔からウニ化石!?劇的な会津の地形の成り立ち
・石川町が日本三大産地のひとつ ペグマタイトとはどんな岩石?
・大改修から100年が経過 暴れ川・阿武隈川の今と昔

などなど福島のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2:福島を駆け抜ける鉄道網

・東北本線旧線の黒磯~白河間には明治時代の面影が残されている!?
・日本最大のC62形SL牽引「ゆうづる」が走った常磐線
・かつては東京と新潟を結ぶ架け橋、会津地方の大幹線・磐越西線
・東京・浅草から特急が直通しトロッコ列車も走る会津鉄道
・かつて硫黄輸送で活躍した猪苗代町の沼尻鉄道とは?
・只見川に架かる数々の鉄橋ほか 魅力いっぱい絶景鉄道・只見線

などなど福島ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3:福島で動いた歴史の瞬間

・人間の歯や骨をペンダントに!?原始福島の不思議な弔い
・東北地方最古の前方後円墳!会津大塚山古墳が示す会津の力
・浜通りに古代製鉄遺跡を発見! なぜ大規模な製鉄が行われた?
・中世史総論(関東武士が進出し国盗り合戦!白河・伊達・蘆名・岩城氏の攻防)
・南北朝時代に南朝が拠点とした幻の寺院城郭・霊山寺とは?
・伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たす道のり
・相馬地方を約700年統治した古豪・相馬氏とはどんな一族?
・奥州きっての城下町・若松はどのようにして生まれた?
・会津若松城で籠城戦を続けた会津藩が開城に至るまで

などなど、激動の福島の歴史に興味を惹きつける。

Part.4:福島で育まれた産業や文化

・最澄と大論戦した僧・徳一が開祖!慧日寺から始まった会津の仏教文化
・猪苗代湖の水を郡山へ! 幹線延長52㎞の安積疏水事業
・県境には二ツ小屋隧道が残る 福島と米沢を結んだ万世大路
・東北唯一の中央競馬場が福島市につくられたわけ
・幕府直営の半田銀山 明治時代は五代友厚が経営
・感染症と闘い続けた細菌学者・野口英世の生涯
・日本酒の金賞受賞数日本一!福島の地酒はなぜすごい?

などなど福島の発展の歩みをたどる。

ほか、巻頭「空撮グラビア」、テーマ別地図、コラム「データでわかる全59市町村」(人口、所得、農業・漁業)、吉田初三郎が描いた福島県の鳥瞰図 など

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