野口英世が手の手術をきっかけに医学の道へ
いっぽう、野口家の農地は荒れ果て、教科書も買えないほどの貧しさでした。卒業が近づいた頃、猪苗代高等小学校の小林栄先生から進学を勧められるとともに援助を受け、野口英世は猪苗代高等小学校への入学が叶いました。
在学中には友人らの寄付金により、会津若松の会陽医院で左手の手術を受けました。左手の親指が動くようになり、医学の素晴らしさを実感した野口英世は、高等小学校卒業後、会陽医院に書生として入門。
医学や語学の勉強に励み、19歳のとき、医師免許取得のために上京。生家の床柱に「志を得ざれば再び此地を踏まず」と刻んで故郷をあとにしたといいます。
野口英世が左手の手術を受けた会陽医院跡(会津壹番館)。現在、1 階は喫茶店、2階は野口に関する資料を展示する「野口英世青春館」となっています。
野口英世が医師免許取得後に細菌学の研究へ
上京後は高山歯科医学院(現・東京歯科大学)の血脇守之助(ちわきもりのすけ)の元で医学を学び、20歳で医師の資格を取得。
高山歯科医学院や順天堂医院に勤務後、開業医となる道は選ばずに、細菌学の研究者を志して北里柴三郎を所長とする伝染病研究所の助手となりました。
野口清作から英世への改名
この頃、野口は坪内逍遥の小説『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』を読みました。登場人物の医学生・野々口精作の名前と短所が非常に自分と似ていたことから、短所を直す意味も込めて、名前を「清作」から「英世」へと改名しました。
野口英世の渡米と海外での研究
その後、横浜海港検疫所に派遣され、ペスト患者を発見して隔離するなどの功績により、ペスト国際予防委員会のメンバーとして清国(現・中国)でも勤務。
こうした経験から海外での研究を希望し、1900(明治33)年12月、研究所時代に通訳として東京を案内したペンシルベニア大学のフレキスナー博士を頼って渡米。蛇毒の研究やデンマークへの留学を経て、1904(明治37)年、ロックフェラー研究所の一等助手に就任し、梅毒などの研究を進めました。
ノーベル賞の有力候補になるほどの猛烈な研究ぶりで、同僚からは「ノグチはいつ寝るのか?」といわれていたという。1911(明治44)年、メリーと結婚しています。
野口英世15年ぶりの帰国
1915(大正4)年、15年ぶりに帰国。2カ月間の滞在中、各地での講演会などに追われながらも、家族や恩師との旅行も叶いました。その後、野口英世が日本の地を踏むことはありませんでした。
野口英世の生涯とその功績
1918(大正7)年、中南米で流行していた黄熱病の研究班に加わり、ワクチンを開発するまで至りました。しかし、実際には病原体が異なり、黄熱病には効きませんでした。そのため、1927(昭和2)年には周囲の反対を押し切り、流行が終息しないアフリカに出張。
6カ月に及ぶ原因究明の結果、目途がついて帰国の準備をしていたところ、野口英世自身が黄熱病に感染してしまったのです。感染から10日目の1928(昭和3)年5月21日、「わたしにはわからない……」と言葉を残し、アクラ(ガーナ)で51歳の生涯を閉じました。
日本政府からはそれまでの功績を称え、旭日重光章が贈られました。生涯では15カ国から学位や勲章を授けられています。
野口英世ゆかりの地
会津壹番館や栄町教会がある一帯は「野口英世青春通り」と呼ばれています。初恋の人とされる山内ヨネの生家跡も残されています。
また、猪苗代町には野口の生家(現・野口英世記念館)や通っていた学校などがあります。
野口英世青春通り
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Part.1:地図で読み解く福島の大地
・阿武隈山地や奥羽山脈が境目!浜通り・中通り・会津の3地域
・いわきで発掘された首長竜化石フタバスズキリュウとは?
・福島市がぽっかり入る福島盆地はどうやってできた?
・福島発展の礎を築いた常磐炭田
・磐梯山の大噴火と裏磐梯・五色沼湖群の形成
・猪苗代湖畔からウニ化石!?劇的な会津の地形の成り立ち
・石川町が日本三大産地のひとつ ペグマタイトとはどんな岩石?
・大改修から100年が経過 暴れ川・阿武隈川の今と昔
などなど福島のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2:福島を駆け抜ける鉄道網
・東北本線旧線の黒磯~白河間には明治時代の面影が残されている!?
・日本最大のC62形SL牽引「ゆうづる」が走った常磐線
・かつては東京と新潟を結ぶ架け橋、会津地方の大幹線・磐越西線
・東京・浅草から特急が直通しトロッコ列車も走る会津鉄道
・かつて硫黄輸送で活躍した猪苗代町の沼尻鉄道とは?
・只見川に架かる数々の鉄橋ほか 魅力いっぱい絶景鉄道・只見線
などなど福島ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3:福島で動いた歴史の瞬間
・人間の歯や骨をペンダントに!?原始福島の不思議な弔い
・東北地方最古の前方後円墳!会津大塚山古墳が示す会津の力
・浜通りに古代製鉄遺跡を発見! なぜ大規模な製鉄が行われた?
・中世史総論(関東武士が進出し国盗り合戦!白河・伊達・蘆名・岩城氏の攻防)
・南北朝時代に南朝が拠点とした幻の寺院城郭・霊山寺とは?
・伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たす道のり
・相馬地方を約700年統治した古豪・相馬氏とはどんな一族?
・奥州きっての城下町・若松はどのようにして生まれた?
・会津若松城で籠城戦を続けた会津藩が開城に至るまで
などなど、激動の福島の歴史に興味を惹きつける。
Part.4:福島で育まれた産業や文化
・最澄と大論戦した僧・徳一が開祖!慧日寺から始まった会津の仏教文化
・猪苗代湖の水を郡山へ! 幹線延長52㎞の安積疏水事業
・県境には二ツ小屋隧道が残る 福島と米沢を結んだ万世大路
・東北唯一の中央競馬場が福島市につくられたわけ
・幕府直営の半田銀山 明治時代は五代友厚が経営
・感染症と闘い続けた細菌学者・野口英世の生涯
・日本酒の金賞受賞数日本一!福島の地酒はなぜすごい?
などなど福島の発展の歩みをたどる。
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