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伊豆に流刑された源頼朝

1159(平治元)年に起こった平治の乱で、源頼朝の父・義朝は平清盛らに敗れ、源頼朝は伊豆国に流されています。本来であれば死刑が当然でしたが、当時13歳という若い頼朝を見た清盛の継母・池禅尼が助命を嘆願し、死刑を免れ伊豆国に流刑となりました。

清盛の「義朝の息子・頼朝を殺さなかった温情ある決断」は最大の失敗と言われ、その後の歴史を変えることになるのです。

流刑地・伊豆で源頼朝が源氏再興の旗揚げができた理由

流人である源頼朝が、なぜ、東国の武士たちをまとめ上げ、伊豆で源氏再興の旗揚げをすることができたのでしょうか。

それは、当時の武士の立場に関係します。当時は国から任命された国司たちが権力をふるっていたため、武士たちも中央からの役人には逆らえず、弱い立場にいました。そこで武士たちは自分の立場を優位にするため、血統の良い平氏や源氏の実力者をはじめ、彼らの血筋を引く者たちと親戚関係になりました。

源頼朝が源氏の嫡流だからなのか、はたまた平氏に対する反感からなのか、流人である源頼朝の元には武士たちの師弟が多く出入りしていました。源頼朝は集まった武士の息子たちとともに狩りに出かけ、平氏の流れを汲む見張り役の北条時政をも取り込んでいくのです。

1159(平治元)年の平治の乱後から加熱していく平氏の傍若無人なふるまいを冷静に分析し、長きにわたる流人生活の中で武士たちが何を望んでいるかということを学んで実践していったからこそ、源頼朝は関東の武士たちをまとめ上げることができたのかもしれません。

流刑地・伊豆から挙兵した源頼朝のリーダーとしてのカリスマ性

源頼朝は1180(治承4)年8月17日に伊豆韮山で平氏打倒のため挙兵しますが、ここから始まった武家政権は、その後、江戸時代まで約700年も続きました。ブレーンの助言もあったとは思いますが、源頼朝がカリスマ性を持ったリーダーであったのは間違いありません。

それは、源氏の嫡流という血筋に加え、源頼朝が培った人望と行動力があればこその結果と言えるでしょう。明治維新まで続いた日本の武家政治の歴史は、一人の流人から始まったのです。

源頼朝の挙兵(1180年)

源頼朝の挙兵(1180年)

源頼朝は伊豆で挙兵するが石橋山の戦いで敗れてしまいます。その後、安房国で再挙し進軍しながら鎌倉へ入っていきます。

伊豆の源頼朝ゆかりの地

伊豆の源頼朝ゆかりの地

流刑の地だった伊豆には、各地に源頼朝ゆかりの地が存在します。

毘沙門堂
1173(承安3)年、伊豆に流された怪僧・文覚が草庵を結んだ場所。文覚は、頼朝に源氏再興の挙兵をすすめ、その後、願いのかなった源頼朝が文覚に命じて毘沙門堂を建立させました。

守山八幡宮
1180(治承4)年に、源頼朝が源氏再興を祈願した場所。

荒木神社
源頼朝が、参拝の度に社前の社木に鞍を掛けたという言い伝えから「鞍掛明神」とも呼ばれています。

右内神社
源氏再興を祈願するため三嶋大社に100日間の参詣をする道すがら、源頼朝が度々立ち寄ったとされる場所。

間眠神社
三嶋大社に100日間の参詣をする途中、源頼朝が路傍の祠の松の根本でしばしまどろんだ、という伝説の場所。

伊豆滝山不動と不動の滝
文覚が源頼朝に源氏再興の挙兵をすすめたとされる場所。不動の滝は、源頼朝が源氏再興を祈願したとされています。

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・富士山が標高日本一、駿河湾が深海日本一になった理由
・南から来た、火山の贈り物、伊豆半島ジオパーク
・交通の難所「大崩海岸」は海底噴火によって作られた!
・「日本三大人工美林」数えられる天竜の杉林は川の氾濫に関係があった?
・磐田市にトンボの楽園があった!
・湖?川?海?浜名湖の正体を探れ!
・世界遺産「三保松原」は江戸時代に「島」から「半島」になった!

などなど静岡のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 静岡を駆け抜ける鉄道網

・静岡県の鉄道の歴史は沼津市内の貨物線から始まった
・かつては「東海道本線」だった由緒正しき(?)御殿場線
・JRと私鉄が一体となって形成する伊豆半島東海岸の鉄道ルート
・意外なエピソードを秘めた東海道本線・静岡鉄道の並行区間
・「政令指定都市・静岡」の市内も走る山岳鉄道、大井川鐵道井川線
・軍事上の要請が背景にある天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)のルート

などなど静岡ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 静岡で動いた歴史の瞬間

・静岡最古の古代人は愛鷹山付近にいた!
・日本考古学の聖地・登呂遺跡
・日本書紀に見る静岡とヤマトタケルの伝説
・源頼朝も流された流刑地伊豆
・下田が開港の舞台になったのはなぜか
・江戸城よりも大きかった駿府城天守台
・日本にたった一つしかない形の城・田中城
・家康の遺体は日光ではなく久能山にある?
・徳川慶喜と渋沢栄一の意外なつながり

などなど、激動の静岡の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 静岡で育まれた産業や文化

・模型の首都!静岡が生まれたワケ
・バイクに楽器。浜松のものづくりは綿花の栽培から
・ボールは友達!サッカー王国しずおか
・富士山麓の湧水が育てた製紙業
・月ではなく富士山に帰ってしまう「かぐや姫」
・仏教界のスーパースター空海が静岡に残した伝説

…などなど静岡の発展の歩みをたどる。

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