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博物館動物園駅 「特別な配慮」によって設計された理由とは?

この動物園前駅、「博物館動物園駅」というのが廃止時点での正式名称でした。
1933(昭和8)年、京成電気軌道(現・京成電鉄)日暮里~上野公園(現・京成上野)駅間の開業と同時に誕生しました。これは山手線の内側への乗り入れた最初の私鉄路線です。

当時、京成は都心への乗り入れを切望し、上野への路線延伸を目指していました。しかしこの日暮里~上野公園間の建設には、多くの困難が伴いました。というのも、上野公園一帯は台地となっており急勾配であったこと。そして、「世伝御料地」と呼ばれる天皇家所有の特別な土地だったため、トンネルであっても、鉄道を通す許可を得るのが容易ではなかったからです。動物園前駅の建設は、「御前会議」によって昭和天皇の勅許を得て決まりました。

御料地内ということで、駅舎は、その品位を損なわないよう慎重に設計が行われたといいます。その結果、西洋風の荘厳なデザインが採用されました。

1941(昭和16)年 1:6000大東京區分圖三十五區之内下谷區詳細圖 (部分)  東京都立図書館TOKYOアーカイブ所蔵

こちらは、駅開業から間もない頃の地図です。冒頭の地図と比べると、少し駅の位置が上野寄りにずれています。
実はこの駅、開業時にはもう一つの出入口あったそうですが、それがこの位置だったのかもしれません。動物園の門の目の前です。この図からは、観光に便利な立地だったことが伺えます。休日には多くの利用客があったのではないでしょうか。

歩道上に残る動物園に近い駅出入口の跡

隣接する「上野動物園」は、1882(明治15)年開園した日本最初の動物園です。ちょうどこの駅が誕生した頃 、ここで「クロヒョウ脱出事件」(1936年)が発生しています。ヒョウは14時間後に無事捕獲されましたが、周辺の住民は家に籠り、不安な時間を過ごしたといいます。同じ年に起きた「2・26事件」とあわせて、東京を騒然とさせた事件として人々に永く記憶されたそうです。

反対側の「東京府美術館」(現・東京都美術館)は、この駅開業の少し前、1926年に開館しました。日本最初の公立美術館で、九州の石炭商からの寄付金がきっかけで建設されました。こちらは1977年、新館の完成によって解体されています。

大東京三十五區「東京府美術館」(1932年主婦之友社刊) 東京都立図書館TOKYOアーカイブ所蔵

さて、話は博物館動物園駅のその後に移ります。

時代が経過すると、鉄道利用者の増加に対応するために、京成電車も長編成化していきます。しかし、当駅はそれに対応できない短いホームで、ギリギリ4両分しかありませんでした。トンネル内のため、ホーム延長工事も簡単にはいきません。このため、停車できる列車は限定されるようになり、徐々に減少していきます。それに合わせて利用者も減少していきました。

休止直前には、日中だけの停車になり、それも一時間2、3本程度という、大都会にある駅とは思えない閑散ぶりでした。
これに加え設備の老朽化もあり、ついに1997年に休止となり、その後2004年に廃止となりました。

博物館動物園駅の隣駅 消えたもう一つの地下駅とは?

実は、この博物館動物園駅の隣には、開業後早々に消えてしまった、もう一つの地下駅がありました。
ここで簡単にご紹介しましょう。

1941(昭和16)年 1:6000大東京區分圖三十五區之内下谷區詳細圖 (部分)  東京都立図書館TOKYOアーカイブ所蔵

■寛永寺坂(かんえいじさか)駅
博物館動物園駅と同時に、1933 年開業しました。寛永寺の裏手、トンネル入口付近に設置された地下駅でした。駅名の由来は駅の横にある坂の名称からです。詳しい経緯はわかりませんが、戦後の混乱期1947(昭和22)年に休止となり、その後再開されぬまま廃止されました。

2022年昭文社地図を加工

こちらは現在の地図です。コンビニエンスストアがある辺りに、かつて駅舎があったのですが、何と!その駅舎、最近まで現存していました。
廃止後に貸し出され、倉庫として長らく使用されていましたが、2016年に解体されています。解体直前に行われた新聞社の取材によれば、地下ホームに続く階段なども現存していたようです。
大都会にあって、廃止された駅舎がこれほど長く再利用されていたのは、珍しいことではないでしょうか。

現在の博物館動物園駅跡 文化財になった駅舎と今も残る地下施設

現在の博物館動物園駅跡 文化財になった駅舎と今も残る地下施設
2022年昭文社刊行「街の達人 全東京」より

さて、現在の地図を見てみましょう。東京都美術館は、隣接する野球場だった場所に移っています。それ以外は、冒頭の地図から大きな変化はありません。

現在も保存されている博物館動物園駅の駅舎

博物館動物園駅の駅舎は、取り壊しを免れ、2018年に「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。前述のような歴史的経緯が認められたからです。
その後、隣にある東京藝術大学と連携して、扉などをリニューアル。現在では、様々な文化的催しの場所として活用されています。不定期で内部公開をすることがあるので、気になる方はこちらをチェックしてみてください。
→https://www.keisei.co.jp/keisei/hakudou/index.php

また、地下にあるプラットホームも、ほぼそのまま残っています。実は「ある場所」からこれらの遺構を垣間見ることができます。
それは、京成電車の車内からです。先ほどの寛永寺坂駅の遺構も同様です。何が見えるかはお楽しみに!

駅に歴史あり 「ちょっと昔」地図から、それを見つけにいきましょう

さて、今回は1968年の古地図から、上野の山に同時期に誕生した二つの地下駅と、その周辺の歴史を紐解いてみました。

それぞれの駅がたどった廃止後の道のりは、対照的でした。一方は、長年使用されず、文化財となり大切に保存されています。片や、長年使い続けられましたが、あっさり解体されました。
人間に例えるなら、一人は、その育ちのよさから勲章をもらい華やかな生を送り、もう一人は、リタイア後も人知れず働き続け、ひっそりと世を去った、といったところでしょうか・・・。人の人生が多様なように、駅の一生にもさまざまな姿があるようです。

みなさんが普段お使いの駅にも、意外な逸話があるかもしれません。「ちょっと昔」地図から、それを見つけに時空の旅に出かけてみては如何でしょうか。

【参考とした資料:京成電鉄公式サイト、東日本鉄道文化財団公式サイト、東京動物園協会サイト】

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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